君に捧げるエンブレムのモデルは京谷和幸で実話?嫁は三木陽子?

君に捧げるエンブレムの画像 ドラマ

「君に捧げるエンブレム」が1月3日の新春ドラマスペシャルで放送されました。

 

このドラマ「君に捧げるエンブレム」は、Jリーガーだった京谷和幸氏がモデルの作品。

 

交通事故で下半身が不自由になった京谷和幸氏が、車いすバスケと出会って生きる希望を見つけていく姿を描いたドラマです。

 

また、同ドラマは嵐・櫻井翔がモデルとなった京谷和幸氏役を務め、長澤まさみが嫁・三木陽子(画像あり)役を演じています。

 

なお、このドラマの原作は、実話を元に映画化された「パラレル愛はすべてを乗り越える―。」。

 

一方、映画「パラレル愛はすべてを乗り越える―。」の方は、交通事故後、車いすバスケと出会い、北京パラリンピックで日本選手団の主将を務めた京谷和幸氏役を要潤が熱演し、夫を支える嫁・三木陽子を歌手の島谷ひとみが好演。

 

実際にあった実話物語を、京谷和幸氏所属の千葉ホークスの全面的協力を得て、撮影したそうです。

 

そして、今回放送されたドラマ「君に捧げるエンブレム」では、モデルとなった京谷和幸氏の名前を鷹匠和也に変更。

 

嫁・三木陽子さんの名前を仲川未希に変更しています。

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君に捧げるエンブレムの実話モデル 京谷和幸と嫁の三木陽子

ドラマ「君に捧げるエンブレム」の実話のモデルは京谷和幸氏。

 

嫁は三木陽子さんです。

 

(モデルの京谷和幸氏と嫁の陽子さん)
君に捧げるエンブレムのモデル 画像

 

京谷和幸氏は、1971年8月13日生まれの北海道室蘭出身。

 

小学校2年からサッカーを始め、高校でバルセロナ五輪代表候補となります。

 

その後の1990年に室蘭大谷高校卒業後、古河電気工業株式会社に入社。

 

1991年にジェフ市原とプロ契約しますが、同じポジションに元西ドイツ代表のリトバルスキーがいたため、なかなか試合に出ることが叶いませんでした。

 

そして、1993年Jリーグ開幕半年後に、交通事故により車いす生活になってしまいます。

 

その後は、リハビリの一環として車いすバスケットボールを始め、その躍動感・充実感を知るのでした。

 

なお、嫁の三木陽子さんとの交際は、京谷和幸氏の一目惚れから始まったのだとか。

 

当時の陽子さんは別の男性に想いを寄せていたらしいのですが、やがて京谷和幸氏の男らしさに心惹かれ、愛を育み、将来を誓い合うようになったそうです。

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君に捧げるエンブレムのキャスト

ドラマ「君に捧げるエンブレム」を企画したプロデューサーが、主人公・鷹匠和也役に櫻井翔を起用したのは、芝居ができて、知名度が高いこと。

 

さらに、ニュース番組のキャスターを務めているので、障害者スポーツのことを分かっているのが理由だったそうです。

 

また、櫻井翔を含め、ほかのキャストも車椅子バスケが未経験でしたが、1か月半前から練習を開始してドラマの収録に間に合わせたのだとか。

 

その甲斐あって、車椅子バスケのシーンは、ほとんど吹き替えなし。

 

編集した映像の90%以上が、本人たちの演技だったようです。

キャスト一覧

・鷹匠和也ー櫻井翔

・仲川未希ー長澤まさみ

・向井大隼ー市原隼人

・鶴田仁志ー田中哲司

・仲川明生ー小林薫

・鷹匠和歌ー倍賞美津子

・向井史子ーかたせ梨乃

・神村錬ー安藤政信

・福本廣太郎ー香川照之

君に捧げるエンブレムのあらすじ

ドラマ「君に捧げるエンブレム」のあらすじですが、Jリーグが開幕した1993年、ジェフ市原に所属する京谷和幸氏は恋人・三木陽子さんとの結婚を考え始めていました。

 

しかし、結婚式を2ヶ月後に控えていた11月、結婚式の衣装合わせに向かうため車を運転中、交通事故に遭います。

 

この事故により、僅か22歳にして選手生命を絶たれるのでした。

 

そして、事故から11日後に2人は入籍。

 

京谷和幸氏は車いす生活を余儀なくされます。

 

悲しみに沈みながらも献身的に看病をする陽子さんに対して、自暴自棄になった京谷和幸氏は冷たくあたりますが、事故から半年が経過した頃、陽子さんは京谷和幸氏を車いすバスケットの練習が行われている会場へと連れて行きます。

 

そこでは同じ障害を持つ人たちの賢明な姿を見て、京谷和幸氏は衝撃を受けるのでした。

 

そして事故から1年後の1994年12月、京谷和幸氏は強豪チーム「千葉ホークス」 に入団。

 

その直後に福祉関係の就職が決まります。

 

京谷和幸氏が車椅子バスケットを始めたのは、市役所で障害者手帳を交付してもらった時に受付を担当した「千葉ホークス」の選手として活躍していた小瀧氏の一言がきっかけでした。

 

小瀧氏から、後日「バスケットをやるとリハビリになるよ」と誘われたことと、陽子さんの献身的な愛に支えられ京谷和幸氏はパラリンピックを目指すことを決意します。

 

こうして京谷和幸氏は2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と3大会連続でパラリンピックに出場を果たし、北京大会では選手団主将という大役を任されるのでした。

 

そして40歳を過ぎた2012年夏のロンドンパラリンピックへの出場を果たし、ロンドンパラリンピックを最後に現役を引退。

 

現在は事故で奪われたサッカーを取り戻すため、指導者としてピッチへ戻るという夢を追いかけ勉強中です。

 

その傍ら、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、車いすバスケットボールの若手育成にも力を注いでいます。

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